好血圧だより

血圧をネタにする不真面目なブログです

旅の話し

また借り物の写真で失礼します

今日は松尾芭蕉が『奥の細道』の旅に出発した日で、それにちなんだ “ 旅の日 ” だそうです。いろんな記念日があるもんダ。

 行く春や鳥啼き魚の目は涙

芭蕉が出発に際して詠んだ有名な句ですが、わたしゃこの「魚の目は涙」というところがよくわかりませんでした。芭蕉自身が句の前に「前途三千里の思ひ胸にふさがりて」と書いてますので「長い道中なのにウオノメが痛くて泣けてくる」という意味かと思いましたが、どうも全然違うようです。どうもいまだによく分かりません。芭蕉の句はときに難解で、凡人であるわたしは突き放されたような気もします。

 蚤虱馬の尿する枕もと

これは分かりやすいスね。ノミやシラミに馬のションベンもかかるドえらい宿だわい、というシモネタ句です。俳聖でもこういう句をつくったんやね。ちなみに、芭蕉は便秘と痔が持病で「人生の半分をトイレで過ごした」なんて書き残しているそうな。今も残る名句の数々も、ひょっとすると “MADE  IN  BENJO ” なのかも知れません。

 

話しは変わりまして、昨日は沖縄の本土復帰50年の節目の日でありました。

わたしが、ただサンゴ礁の海が見たくて初めて沖縄を旅したのは、もう三十何年も前のことです。現在のようにいろんな情報があふれている時代ではありませんから、きわめて乏しい予備知識で出かけて行きましたが、それが良かったのです。初めて実際に目にするラグーンの美しさ。その透き通った色は夢で見た海そのものでした。公設市場に並んだ熱帯魚やブタの顔(正確には顔の皮。チラガーというそうですな)を見た時の、腰が抜けたか思うほどのオドロキ。それに基地問題の現実・・・。旅することの楽しさと効能をカラダで思い知ったのでありました。

インターネット等で地球の裏側のことまで何でも知ることができてしまう現在、あのような新鮮な驚きと感動を味わうことは、もはや難しくなっています。未知の事物にナマでいきなり出くわすことはなく、どこの旅さきでも「あ、これ動画で見たやつや」 「これテレビで芸能人が食べてた」なんて感想しか・・・。

現代は便利ですが、そのぶん不幸な時代でもあります。

 

芭蕉は、旅の先々でどんな感動をどれくらい味わったことでしょうか。痔やウオノメに悩んだにしても、それを帳消しにするほどの魅力が、当時の旅にはあったに違いありません。 「 片雲の風に誘はれて漂泊の思ひやまず 」に始まり 「 おくのほそ道見もてゆくに、おぼえず起ちて手たたき、伏して群胆を刻む 」ですからな。驚きや感動との出会いこそが旅の価値ではないかと、昭和のおバカは愚考するのです。

 

オーパ! と叫びたい。お大痔に。