好血圧だより

血圧をネタにする不真面目なブログです

アイスクリームの日

沖縄には “ブルーシール” というアイス屋さんが

明治2年5月9日、横浜の馬車道において日本初のアイスクリームが製造販売されたことにちなみ、5月9日は「アイスクリームの日」だそうです。

断髪令が明治4年ですから、当時は日本人のほとんどがチョンマゲ結ってた時代です。当然、冷凍機なんてありませんわな。牛乳と卵と砂糖を混ぜたものを、氷と塩で冷やしてつくったんですと。おそらく、その頃としては凄く高価で贅沢なものだったんでしょう。

 

ところで、私は大動脈解離の手術後しばらく水分を制限されていて、常に喉の渇きに悩まされていました。ICUのベッドで「退院したら、ポンジュースとホームランバーに全財産をつぎ込んだるねん」と、えらく子供っぽく思い詰めていたものです。成人して以来、ポンジュースもホームランバーも欲しいと思ったことなんて全然なかったのに、なぜ幼い頃の嗜好がとつぜん甦ってきたのか、我ながら不思議でありました。(ホームランバーとは、私が子供の頃に駄菓子屋でおなじみだったクジ付きの棒アイスのことです。クジに当たればもう1本もらえる夢のような至宝的存在で、当時1本10円でした。現在も販売されていますが10本入りの箱入りのみで、ばら売りはされていないようです)

退院後、さっそくスーパーに飛び込んで味わってみたのですが、正直、期待したほどの歓喜は得られませんでした。ICUで夢見た味とは、少々違っていたのです。決してホームランバーの味が劣っているわけではありません。私の期待値が大きすぎたのと、半世紀前からのアイスの進歩向上の成果に、舌が慣れてしまっているのに気付かなかったせいです。ICUで求めたのは幻想の味だったわけです。

思い起こせば、我が人生はアイスクリームの変遷と共にあったような気がします。「グリコジャイアントコーン」への憧れ。「エスキモー Pino」に出会ったときの感動。「雪見だいふく」が発売された驚き。「抹茶アイス」の恍惚・・・。

もう三十何年も前に、沖縄へ旅して「A&W」とか「ブルーシール」というチェーン店を初めて知ったことを思い出します。国道58号線沿いの店におずおず入ってみると、サトウキビ畑からの帰りらしいおジイと、軍服姿のアメリカ人が並んでハンバーガーや紅芋アイスを食べていました。レイバンのサングラスをかけた空軍の士官らしいのが、日本のタバコ「Peace(ピース)」を吸っていたのを、今でも覚えています。冷戦の最前線にいる軍人が、「平和」という名のタバコをくゆらしていたのでした。

 

わたしゃ「ブルーシール」というアイスクリーム屋さんは沖縄にしかないという、ある種ロマンチックな思いを抱いていたのです。ところが・・・

ブルーシールなら、奈良の橿原にもあるデ」 「和歌山の勝浦漁港にもおまっせ」

なんじゃ? マグロ味のアイスか・・・?

 

もう、ホームランバーでエエです。お大痔に。