療養俳句、というのがあります。病気療養中の人々が詠んだ句のことですね。
闘うて鷹のゑぐりし深雪なり
ハンセン病のため失明した、村越化石という俳人の句です。失われた自らの眼窩と、えぐられた雪をかさねているのでしょうか。
そして療養俳句の代表選手のようにいわれるのが、肺結核により56歳で世を去った石田波郷であります。
力つくして山越えし夢 露か霜か
肋骨を四本も切り取る大手術をうけた直後の句。全力で死と闘い生還した心境でしょう。しんどかったやろなあ・・・。
じつは、私も大動脈解離の手術後ICUで意識モウロウとしていたさなか、普段は絶対できないような素晴らしい句が、天啓のようにいくつも浮かんできた(ような気がした)のです。ホンマですよ。あの時、私の枕元には波郷センセイが降りて来られていたに違いありません。
しかーし。意識がはっきりしてくるにつれ、それらはまるで蜃気楼のように、虚しく脳裏から蒸発していったのでありました。もし忘れないうちにメモを残していられたら・・・ああ、やんぬるかな! なにしろ、全身麻酔での何時間にも及ぶ手術の後では手足の、いや体全体の自由がきかないし、声も出ないのです。なんとかメモ帳に字が書けるようになった頃には、幻の名句の数々は永遠に失われていたのでした・・・とほほ。波郷センセイ、降りて来られるのが少々早過ぎましたです。
これ以前のメモときたら、字が震え乱れすぎていて自分でも到底読めないシロモノでありました。なんとか判読できるページには、いつもの小学生レベルの句しか・・・。
「お、五七五ですね。一句詠みましたか」 なんと、このメモを一瞥して即座に反応してくれたICUのスタッフさんがおられたのです。タダモノではないと思いました。病院で働いておられる人々のなかにも、俳句の名人がぎょうさん存在するに違いありません。ぶらぼー。
次回に続きます。お大痔に。