前回、畏れ多くも水原秋櫻子という大俳人の句を冒頭に掲げました。
冬菊のまとふはおのがひかりのみ
代表作といわれる名句中の名句。ワシなんぞは思わずひれ伏すのでありますね。詩人の大岡信さんは『名句 歌ごよみ』のなかで「秋櫻子の自画像ではないかとさえ思われるほど、この冬菊のたたずまいは端正で高雅である」と評しました。この解説文もまた見事じゃありませんか。
空をゆく一かたまりの花吹雪
秋櫻子と同窓だった高野素十というひとの句。これまた印象鮮やかな名句です。大好きな句です。水原秋櫻子も高野素十も、本業はともにお医者さんでありました。おふたりとも医大の教授まで務めたほどですから、医学者としても優秀だったんじゃね。マンガ家の手塚治虫も医学博士でしたが、詩情ゆたかな医学者って素晴らしくエエなァ、とつくづく思います。
ほかにも文学をやる医学者は多くおられるでしょうが、そういう先生がたは言葉を選ぶのに慣れてますから、論文書くのも上手でしょうし、患者への説明も簡潔明瞭で手っ取り早いんじゃないですか? 水原先生も高野先生も待合室に患者があふれる、てことはなかったんでないか、なんて想像するんですが・・・。
で、前回登場いただきました石田波郷は、この水原秋櫻子の俳句のお弟子さんだったひとです。さらに、冒頭の写真にご登場願いました相馬遷子もまた医師で、秋櫻子門で石田波郷の弟弟子でした。医者と患者という関係もあったのかどうか。
ところで、お医者さんだって病気になることは当然ありうるわけですよね。はたして、患者になった医師はどんなことを思うんでしょうか。とくに、それが不治の病であったら・・・?
冬麗の微塵となりて去らんとす
これは遷子が胃がんで亡くなる直前、病床で詠んだ句です。「辞世の心をよんだ句の最上のものの一つ」と大岡先生は絶賛しました。「冬麗の微塵となりて」が、いいようもなく澄んでいる、と。
私は入院していたとき、普段は忘れていたこれらの句を思い出して、震えるほど感動したもんです。いざという時には、相馬遷子先生のせめて半分、いや十分の一でもいい、自分なりに澄んだ覚悟を示す辞世をのこしたい・・・!
で、私がその日病床でメモにのこしたのは、次の句でありました。
ふるぼけたシビン割れたと四月馬鹿
憐れむべし、おバカ。お大痔に。