好血圧だより

血圧をネタにする不真面目なブログです

入院中の思い出を語る その7

安楽死の一歩手前でしたとさ

前回に続きまして、手術するまでのあまり覚えていない思い出(?)を語りたいと思います。

夜中に、ご近所をお騒がせしつつ救急車で最寄りの総合病院に運ばれ、大動脈解離と診断されました。しかし、そこには心臓血管外科という専門の科がないので手術ができず、受け入れてくれる病院を探して転院することになったのです。

・・・繰り返しになりますが、私はこの間のことをほとんど覚えていません。家の者によると、救急車の中でも病院に着いてからも時々意識が戻ることがあり、その時には普通に会話もできていたというのですが、私本人の記憶にはないのです。なので、これらは全部あとから聞いたハナシです。

たとえば生まれて初めてCT検査を受けるという経験は、それなりの印象が残ってもよさそうに思うのですが、全く覚えていません。胸部CT撮影は息を吸って停める必要がありますから、意識はあったはずなのですが、覚えていないのです。

ただでさえ血のめぐりが悪いのに・・・。

大動脈解離のせいで脳への血流が不足し、脳貧血のような状態になっていたのではないか、それで意識が飛んだのでは、というのがわたし自身のシロウト診断ですが、まんざら見当ハズレでもないそうです。お医者さん曰く「その症状がもっと重ければ、脳死という結果でしたでしょう」ですと。
さらに、「心臓に近いところまで血管裂けてまして、危なかったですよ。亡くなる一歩手前でした」。おまけに上行大動脈から血液が滲みだしていて、それが心嚢内に溜まって心臓を圧迫する「心タンポナーデ」という状態に陥りかけていたらしいです。我ながらよく死なずに済んだな、と思ったものですが、これらは手術後何日もたって、ICUから一般病棟に移ってから知ったことです。結果的に無事生還できたのですから、頭がボンヤリしていたせいで恐怖や不安や苦痛を全く感じずにすんだのは、むしろ有難いことでした。

ともあれ、意識モウロウとした中でまたもや救急車に乗せられたわけですが、二軒目の病院へ運ばれる道中のことだけは、わりと覚えてます。

「救急車って乗り心地悪いなあ。腰痛いなあ。早よ着かんかなあ」

そんなことを思っていました。最初の病院から付き添ってくれていた若いお医者さんが、声をかけて励ましてくれたのも覚えています。

ようやく到着すると、その病院の搬入口の床はタイル張りになっているらしく、私が乗ったストレッチャーはガタガタガタッ。モトクロスのごとく激しい振動で、まるでトドメを刺される気分であったのも、わりと鮮明に覚えております。そして、付き添ってきてくれた先生が「私も手術に立ち会いますから、いっしょに頑張りましょうね!」と励ましてくれた言葉をうれしく思ったのを最後に、また記憶が途絶えます。

このあと、手術前の検査やら準備やらがいろいろあったはずですが、なーんにも覚えてません。尿道カテーテルを突っ込まれたり、シモの毛を剃られたり、おそらく浣腸なんかもされていたハズですが、それらを意識が無いうちにされたのも、ある意味幸運だったかもしれません。そして手術そのものの記憶も勿論ありません。大動脈解離の手術は全身麻酔で行われます。

家族の話では、オペ室近くの家族待合室で待機すること七時間強。その前に手術の説明を受けたところ、その内容にいささか驚いたといいます。同意書にサインするのに手が震えたとか。ホンマかいな。どんな内容であったかは、またそのうちご報告します。

 

・・・余談ですが、世の救急医の皆さん、ご自分の勤務されている病院の搬入口はどうなってます? 願わくば、スケートリンクのようなまっタイラの床であって欲しいと、経験者は思うのであります。

 

私のハートはストップモーション。お大痔に。