ちょっと前に家庭菜園の夏野菜が不作でした、ということを書きました。
しかーし。じつは一株のピーマンだけは夏秋冬とたくましく実をつけ続け、先日の霜にあたっても枯れず花を咲かせておりました。ピーマンって冬野菜やったっけ? なんて思うくらいですが、さすがにもう痩せた小さな実しかなりませんので、名残惜しいですが冬至の前日に最後の収穫をして「ご苦労さん」。仕舞いにしました。
正直、私はそれほどピーマン好きではないのですが、五月の連休にホームセンターで買ってきて以来、足かけ八ヶ月も我が家の庭で葉を茂らせていたこのピーマン殿には、さすがに愛着がわきましたな。安物(98円でした)でしょぼくれた苗が、トマトやナスビが駄目になったあともコツコツ成長して、収穫できた実はおそらく100個以上でしたやろ。
この大器晩成ピーマンに、わたしゃある種の人間像を感じました。さほど好かれず地味な存在だけど、自分の仕事をただ黙々とこなし続ける・・・ああ、ピーマン。
肉詰めとか青椒肉絲の材料としてなくてはならない野菜でありながら、所詮お肉の引き立て役としか扱われず、子供だけでなく大人にも嫌いな野菜ナンバーワンなどと疎まれ、完熟すれば甘くなることも知られず、レモンより豊富なビタミンCもポリフェノールも無視される。それでもなおピーマンは誰も恨まず、ただピーマンであることに徹し満足して不平も絶望も知らないのであります。おお、ピーマン! 汝こそまさに、宮沢賢治が目指した雨ニモ負ケズ風ニモ負ケナイ理想の存在ではありますまいか。
ああピーマン! ピーマンのような人間に、ワタシハナリタイ!
「中身からっぽな人間になりたいんスか?」
うるさいな。たしかに頭からっぽやけど・・・。
「ほいじゃ、デクノボーと呼ばれたいとか?」
もうとっくに呼ばれとる・・・ほっとけ。 お大痔に!